こんにちは!環境人間学部3年生のにっしーです。
突然ですが、みなさんは環境人間キャンパス がいつどうやってできたのか知っていますか?環境人間学部の学生であっても、そんなことあまり知らないですよね...。私も環境人間キャンパスの歴史っぽいことなんてほとんど知りません!そう考えてみると、私たちは自分たちが通っているキャンパスについてちゃんとわかっていないのかも...。
ということで、今回、私は環境人間キャンパスの歴史について知るために歴史資料を保存しているゆりの木会館1階の資料室に行ってみることにしました。
実は私、ゆりの木会館に入るのは今回が初めてです!
まずは守衛さんの ところにゆりの木会館の鍵を借りに行きました。ゆりの木会館の資料室の鍵を借りに来る人なんて普段ほとんどいないので、初めは守衛さんにものすごく怪しまれ、ここの学生なのか、誰の先生の授業で来たのか、など質問攻めにあいましたが、「○○先生の授業でキャンパスの歴史を調べていて、ゆりの木会館の鍵を貸していただきたいのですが...。」など、あれこれ説明していると最終的には快く承諾して、鍵を開けてくださりました。
資料室の鍵は他のいろいろなカギと一緒に束ねられていたので 、守衛さんも焦ってしまって、なかなか資料室の鍵が見つからないというハプニングが途中ありましたが、無事中に入ることができました。
ゆりの木会館に到着!
周りは木が生い茂っています。
中に入ってみると、想像していた以上に多くの資料が保管されていて驚きました。貴重な資料がたくさん!!ゆりのき会館が登録有形文化財に指定されている理由がよくわかりました。
資料室をいろいろとみていくと、冒頭での「環境人間キャンパスはいつどうやってできたのか?」という問いかけの答えを見つけました。どうやら環境人間キャンパスははじめ、姫路高等学校(姫高)として開校され、その後、神戸大学姫路分校、姫路短期大学、姫路工業大学を経て今の兵庫県立大学環境人間学部に逐次移管されてきたようです。このゆりのき会館は姫高の本館として1924年に竣工されたので100年に近い歴史を持っているということです!こんなにも長い歴史があったなんて、驚きです!現在ゆりの木会館は姫高、短大の同窓会館として使用され、資料室には姫高時代の貴重な資料が数多く展示 されています。
今回はその中でも私が特に関心を持った当時のエピソードを紹介したいと思います。
姫高ができた大正時代は軍縮と大正デモクラシーがもてはやされていた時代でした。ところが昭和を迎えると激動の戦争時代が始まります。ペンを銃に変え、多くの学生たちは戦場へと送られていきました。
しかしながら、姫高生たちは自分たちの教育の場 を守るために奮闘しました。当時の姫高は、語学以外は自由に選んで勉強できるというリベラルアーツで、何よりも学生の自主自立を重んじていました。この教育に誇りを持っていた姫高生たちは軍や憲兵としばしば摩擦を起こし、全学ストライキに発展したこともあったそうです。それだけ当時の学生たちは自由な教育に誇りを持ち、自分たちの学びの場を大切にしていたようですね。
学生寮でのストーム
生徒たちは団結力がとても高かったようです。
戦時下の姫高の様子を描いた絵
環境人間学部も文理融合の自由な教育を受ける ことができ、姫高時代の教育と通ずるものがあり驚きました。姫高の学生たちは戦時下にあっても自分たちの教育の場を守ろうとしていた歴史を知って、私たちは普段、普通に教育を受けることができていますが、これは当たり前のことではないということを感じました。
普段はゆりの木会館は非公開です。中の資料をご覧になりたい方は、本学総務課(079-292-1515)にお問い合わせいただき、所定の手続きを経てください
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